生ハムと暮らしている

すぐ忘れるので文字にしよう

それにしてもやるかたなく

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母親から、今家にいるかと連絡があった。

私の部屋の近くに来ているらしい。

 

というのも別に付け回されているわけではなくて、祖父母の家が私の部屋からほど近く、また偶然にも従兄弟の一人暮らしの住まいもまた同じ街なのだった。

祖父母の介護のついでに甥の近況を聞いた帰りだそうだ。

 

母ももう年寄りなので、本当にしょっちゅう私に何らかの恵みを与えたいようで、甥には駅前のケーキ屋でケーキを買ってあげたからあなたにもなにか、とのこと。

ただ我が家にはジェラートの買い置きや昨年から食べきらないアップルパイやふるさと納税の大量の果物などが転がっており、これ以上はキャパオーバーのため丁重にお断りした。

あえて言うならばサーティワンアイスクリームの年始フレーバーである黒豆芋きんとん味が気になるので商店街のお店に行こうかと誘うが、聞けば全店でイートインは中止し持ち帰りしかやっていないと言われ、レギュラーサイズのアイスクリームをカップに詰めてもらいそのただひとつをドライアイスと共に小さなビニール袋で渡されたのだった。

寒空の下、普段そう会わない母親と、十分な時間を過ごしたのちに1日空けてまた落ち合い、冷たい小袋を手に街に放り出された。

 

特別何を成し遂げようともしてはいなかったが、それにしてもやるかたなく、なんだか笑える。

 

▼いつもの力を発揮できていなさそうなサーティーワンアイスクリームf:id:kaaamadax:20210127090921j:image

かけた時間が愛なのか

1/1

年が明けた。

同居人と、「あけましておめでとう」というようなことを言ったかもしれない。言っていないかもしれない。

 

両親から呼び出しがかかっていた。

身辺の親族はみな都内に住んでいるため、実父母宅より祖父母宅のほうが私の部屋から近い。が、この時期年寄りの家に寄ってたかって集まるものでもないだろうということで、今年の集まりは中止となった。

で、せめて家族だけでもということで呼ばれたわけだが、まあ私にとっては不要不急極まりないのである。世の不要不急に乗じてふんわりと回避できないかと尽力したが、むしろそんなに回避したいのかという圧に負けすごすごと2時間ほど電車に揺られ帰った。

 

長く海外生活をしていた父親が諸事情により日本に帰国し、両親2人はそれなりに仲良くやっているようだった。

父親とは時々話す言葉の端から推察するにおそらく生粋は似通ったものなのだと考えられるが、いかんせん過ごした時間が短くて、生まれてこのかた「近くにいるおじさん」なのだった。薄い記憶を辿れば家族旅行や夫婦喧嘩をしていた過去なども呼び起こされるが、いまだ2人の関係性を、というかこの家族と呼ばれる3名の人間の集まりの意義をよく理解していない。もしも私が何らかの窮地に立たされた時、無条件に何らか守ってくれるだろうと予測はしている。頭ではわかっていても、私はそれを理解も信頼も期待もしていない。なぜなんだろうな。永遠の謎だ。

 

母のつくった悪くないお節をいただき、駅伝をぼんやり眺め、途中母が外出したことで長い無言の間にぽつりぽつりと仕事の話や新しいiPhoneの話をし、夜も同じお節で夕食をとり、私が持ってきた茶菓子をデザートにして、ほどほどの時間に帰宅した。

 

そういえば実家で夕食を食べる前に同意を確認されたので、念のため同居人に「夕食の準備をしているか」と尋ねた。もししていれば帰ろうと。

朝家を出るときに、「早く帰りたいな」と伝え、「夜までに帰れるといいね」と返事があったので、もしかして2人分の夕食を用意するつもりがあったのではないかと期待した。

返事はNOだった。

家族からの期待に応えたくない私が、都合よく同居人に期待して手応えを得られなかった瞬間だった。

 

この時間に私は何を期待されていただろう。元気な顔……とかそういうやつなのか。

私はこの時間に何も期待していない。親不孝はしたくないけれど、それは私が人を幸せにしようなんてこれっぽっちも考えて生きていないために、元からゼロベースの自らの価値をマイナスにする恐れ多さからだ。やりたくないけれどやらなくてはいけないこと。

 

元日から抑揚も希望もない生活。

自分の人生っぽいな。

 

▼かけた時間が愛なのか 

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雑なことで想起される感傷

12/31

念のため大晦日ということで、心の底から「1年の汚れはその年のうちに」とか「煩悩を祓え」とか「一年の計は元旦にあり」とかそういうことを明確な信念や自覚をもって行動で示そうというつもりは全くないながら、いい機会なので掃除はしよう。

思い切って粗大ごみに出した洋服ダンスのあった場所が何もない床を露出しており、まずは日差しを遮っていた窓際のハンガーラックを元タンスの土地に移植した。

伸縮可能で床と天井を突っ張る方式のラックなのだが、よくある突っ張り棒のように細い(伸縮する)側を回転させることで伸びるはず、と一度天井から取り外した後べつの場所に当てがったあとくるくると棒の先を回してみるものの、ただその場で回るだけで静かに焦る。一度外してしまったがゆえ、この2m×2段組のラックにかかっていた洋服がすべて床にぶちまけられた状態で、年を越す…だと…?

まずは商品の説明書のようなものがどこかにないかと、ネットの海に泳ぎだすがメジャーな商品ではないのか全く正規のページが見つからない。Amazonで一番安かった商品を買った自分を恥じ、同じような人間がいなかったかと商品レビューを読み込むがそんな人はいない。嘘…みんな一度も取り外してないの……?

同居人に悪運を嘆き悶々の「もんも」くらいまで来たところで、棒の回転が途中で止まることに気づいた。

これ、違う!!伸ばしたいだけ伸ばしてから固定したいタイミングで回すと止まるタイプのやつだ!!!!!!

一気に心が晴れた。疑ってごめん。ちゃんと次の場所でも自立したラックを見て、たった4000円でこんな働きをしてくれることに合掌した。今後ともなにとぞ。

 

ラックが窓際から壁際に移ると一気に部屋が明るくなり、収納の占有面積は変わらないのだが部屋が一新した気がして昼休憩に入ることにした。

年末っぽいことがしたいと、町のラーメン屋に行こうと提案し家を出る。

 

私の住む町には天下一品があり、20代最後の年末に部屋着で行くラーメン屋にふさわしいのではと感傷が刺激された。

これから指向とライフスタイルが変化するにつれて、天下一品がある街に住む可能性は低くなるだろう。歩いていける距離にラーメン屋があるような場所には住んでおらず車で休日の外食に出かけるかもしれないし、その時にはパートナーがいるかは分からない。家族がいる…可能性もないとは言えない。

狭い部屋で安い家具の模様替えをして、自炊をさぼってこってりラーメンを食べる今の自分が、なんだか愛おしく思えてくる。

とかいって一生変わんなくて年々嫌気が差していったら笑えるな。笑えないんだろうけど。

 

その後も間接照明の位置を変えたり、まとめて隅においていたアートを壁に掛けたり照明の近くに立てかけたり、自室にあった燭台を持て余したりした。

大掃除といって私は整理整頓ばかりしていたけれど、同居人は着々と排水溝の掃除などのいわゆる「掃除」を進めているようだった。

こういうカテゴライズは前時代的だと認識はしつつ、単純に傾向として、「掃除」というと男性は「整理」をしがちで女性は「掃除」をしがち、というのを思い出す。急に友人が家に訪れたりしたとき、もしくは逆の立場のとき、化粧品が散らばっていることを汚いと思うか、シンクが水垢だらけなのを汚いと思うか、というような話。

まあ私は単に行動のコストに対して達成感のパフォーマンスが高いほうを取ったら整理してた、というだけだが。

 

夜は2020年最後の鍋をしようと、スーパーで念のため年始数日間を過ごせるだけの食材も加えて買い出しをして、ささやかに鍋をした。

満腹で年越しそばを食べるスペースを残すことはできず、でもクリスマスに合わせて買っていたおいしいジェラートを食べて0時が近づいた。

去年は一応PCのディスプレイとテレビを兼用していて紅白歌合戦をちらりと見たりもしていたが、今年はそれらも処分してしまっていたので、マスメディアと完全に断絶された年越しであった。0時を過ぎると近くの神社から鐘の音が聴こえて、すっかり眠くなってしまったのでいつも通りに布団に入った。

 

▼安いこと、雑なことで想起される感傷ってなんなんだろうな。幼稚であるとかノスタルジーとかだけじゃないと思う

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夢のあと

12/29

歩く歩道に乗っているみたいに、すごく焦るほどではないけどたまに普通の早歩きの人に抜かれるくらいのスピードで、気づくと何もせず意外性もない程度の場所に運ばれていた、そんな年末。

 

東京の状況がこんなに悪化するなんて思っていなかった。

罪悪感、自分を苛む気持ちがないわけではないけれど、今日は学生時代の友人と約束をして、最近結婚した一人の新居で集まろうと話していた。

もちろんどんな事情であれ強い正義感や自己犠牲精神のある人間はこんな会合を止めるのだろうが、ここにはそんな異端はいない。 

ごめんなさい、でもこれをすごく楽しみにしていたんだ。許して、自分の正義感。

 

ほかの皆は比較的仕事納め済みらしく、先に買い出しに行ってもらった。途中で合流しようと今の居場所や向かうべき店などを連携するが、異常に嚙み合わない。気の置けない友人って、むしろこんなもんだよな。先を読む心意気や鑑みというのが圧倒的に足りないのだ。

 

お宅にお邪魔すると、新婚の花嫁は立派なホストをやってくれて、あれやこれやと皿をだしたり切り分けたり。今までそんなことをマメにするタイプだと思っていなかったけど、人の新たな一面があるというのは素晴らしいことだ。散々ちらかしても騒いでも、最後にはまたおいでと言ってくれたので心から信じている。

私たちの集合より遅れて旦那が家に帰るということで、それまでに慌てて出会いや他配偶者候補たちとの選定条件など邪推な話題を棚に上げ、夫婦がそろってからも他愛ない歓談をしばし楽しんだが、まったく会は終わる様子なく、そして旦那様は明日朝が早いとのことで、驚くべきことにグループの別の友人宅へタクシーに乗って皆で移動した。

(ほんと申し訳ないことだと思っている、世の中の正義感に対して)

 

そこでも迎えてくれた同居人にさんざわめき散らかして、最近飼い始めたというハムスターを嗅いだり吸ったり、真夜中にポップコーンをコンロでぱちぱちつくって貪り食ったりした。なぜかこのタイミングで結婚祝いということで用意していたケーキを開けて食べたのだが、「結婚おめでとう」のメッセージチョコは私が食べた。うける。

 

残った友人らはそのままほとんど朝まで起きていたが、最後に固い床で短い眠りにつき、交通機関が動き始めたころ、のろのろと皆で立ち上がった、

帰り道を調べると、そこから私の自宅までは徒歩での経路が一番効率がよいことがわかり、これから帰るベッドのこんなに近くに友人の家と楽しい日の記憶があることが意外に思える。

外は小雨が降り始めていて、会社用のバッグに常に忍ばせている軽い折り畳み傘を開き一人ドレスシューズの踵を鳴らして家まで帰った。夢のあと。

 

▼真夜中のポップコーン

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こんなものだったかと思い出す

12/28

まだ仕事は納まらないが、なんだか今すごく頑張ったって全部年明けまでに霞みたいになってしまうようで、やる気が起きない。まあ仕事に対してのやる気なんていつもないけどさ。

 

昨日悩んでいたダルメシアン柄のジャケットを、強い気持ちをもってもう一度見に行ったら今日から古着屋は年末休業に入ったらしかった。

 

気が削がれたことも影響したのかしないのか、家に帰ったらお腹がぺこぺこで、とってもたくさん食べられそうな気がする。

久しぶりに業務スーパーで購入した、グリーンカレー味の輸入物のインスタントラーメンを2つ茹でて、最近ラーメンだの混ぜそばだののジャンクな紹介動画ばかり見ているのでそれらしさを出してみる。

玉ねぎを大まかなみじん切りにして、これも業務スーパーで人気というので買ってきた姜葱醤というごま油の香りがする刻み葱の調味料を真ん中に、チャーシューはないので瓶に入ったご飯のお供の牛そぼろをこんもりと盛り、最後に生卵を落とす。

ビジュアル的にはそれっぽい。

 

味はまあ、乗せたものそのままの味がした。そりゃそうだ。

まずいものは乗ってないので、普通においしい。グリーンカレー味が案外刺激的で、こんなものだったかと思い出す。社会人になりたての頃、これが好きでよく食べていたな。買ったはいいけど今の私はこれをあと3パック食べるだろうか。

そうそう長い年月が経ったわけでもないけれど、人は少しずつ変わるものだ。

変わることを楽しんで生きていきたいね。

 

▼混ぜてるそばではある 

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