生ハムと暮らしている

すぐ忘れるので文字にしよう

ヤクルトはショットとして使えるけどただ健康なだけ

昨日は比較的真面目に文化について考えながら、実はストロングゼロのダブルパイナップル飲みながらパイナップルケーキを食べていた。トリプルパイナップルである。プルプル。

 

前に、高校生がゲームとかするときの罰ゲームとしてショットグラスにカルピス原液を入れて「クゥ〜!これがショットか〜!」ってやるというめちゃくちゃいい話を聞いた。

そして最近、R-1の代わりにヤクルトを朝飲むことにしてるんだけど、ヤクルトはショットとして使えるけどただ健康なだけだな、と思う。

 

学生時代、髪を切ることをほぼ必ず「噛み切る」と書いていた。

書いていたというのは正しくて、ある友人とのメールで一度「噛み切りたい」と変換ミスをしてから、その変換を気に入った友人とのやりとりでは長いこと暗黙の言葉遊びになっていた。

 

金やピンクに染めたり、かなり強めのパーマをかけたり、刈り上げに近いショートボブにしてみたりと、そこそこ毛髪過激派だったので、「噛み切る」という言葉の強さも気に入っていたのだけど、社会人になってからは時間を失い常識という縛りを得たのであまり髪の毛のことを考えなくなってしまった。

惰性で髪を伸ばしてたけど、そろそろ噛み切っちゃおうかな。

 

▼これは神

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