生ハムと暮らしている

すぐ忘れるので文字にしよう

「ポテチを食べる喜び」が注入されたら

7/19

昨日おとといと暴食したうえにこの世の最上のゴロゴロをかました。

洗濯だけはしたが、あんなに素晴らしい晴れ間が広がっていたというのに、一日の大半をベッドとソファで過ごしている。しかし最上なのであった。

 

食べすぎが影響してか、不思議とお腹が空かない。

不思議とも何も、全然動いてないけど。

 

ただ、土曜日の食事を思い出してみても、酔っ払ってフワフワパクパクし始める前までは、結構悪くないバランスで食べているようだった。

普通の食事、お腹が空いてそれを満たすために自然と食指が伸びるものは、あまり脂や糖を必要としなくなってきている気がする。たぶん、体が。

 

しかし、やっぱり食べてしまうんだな、ときに冷凍庫で大事に保管しているスイーツや、〆の麺類などをポイポイと。

それらに限らず、味を欲する生理的欲求が独走してしまうことって誰しもあるだろう。とっておきのカヌレを味わって食べるならともかく、今ポテチを口いっぱい食べたいんじゃ!というような。

あまり神経質に考えずたまの豪遊?は問題ないと思っているのだけど、やっぱり普段気を付けているぶん、気になる。

 

そういう欲求って、往々にして食を刹那的に軽んじているときなので、点滴みたいに脳みそに「ポテチを食べる喜び」が注入されたらいいのになと思う。

点滴は極端だけど、文化的な食と生理的な食は明らかに別のものとして存在するし、ちょっとディストピアな世界を想像する。

食が、摂取と消費と娯楽とに完全に分断されたとき………例えば4D映画みたいに、口にスポンジやジェリー状のものを入れて別途匂いや味を送り込めば、それはかなり「食」と認識できるのではないか?それでは何も楽しめないと、何も感じないと、私たちは言い切れるだろうか?

いつか、お金と時間のない人はサプリメントとデンプンを、中流の人はそこにフレークと香り付けのオイルを混ぜて、本当に浴びるほどお金のある人だけが"料理"を咀嚼する未来があるかもしれない。

 

▼この日のあすけん(食事管理アプリ)、全然食べてないのに酒は飲んでいる。やる気あんのか。

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