生ハムと暮らしている

すぐ忘れるので文字にしよう

あっけらかんとした滑稽さ

10/24

今週特に日記で言及していなかったが、やや痛いな?と思っていた左手首が今朝起きたら決定的なものに変わっていた。

金曜日はキーボードでCtrl+Yが押せなかった。

なるほど身体的な不調である。

 

さすれば今日の計画は。

不要な服を売る→整形外科→区民事務所→図書館だな。

 

整形外科では、気さくな先生にあたり軽い感じで手首を色々な方向にひねられ、うち数回の私のいててーっ!により診断が下された。理由はわからないが(私にしかわかるはずもないのだが、私に覚えがないのでわからなかった)小指側の靭帯が傷ついているのではとのこと。

療法士さんの施術に送られ、見覚えのある顔。数か月前はずいぶん邪魔じゃないかな、と思うようなヘアスタイルが気になる男性だったが、スッキリとおでこを出していた。表情も明るく見える。単に時期的に美容室に行けなかっただけか、何か気分の変化があったのか、どちらでも構わないが今の様子が小気味よく似合っていたので、小さくてもなにかしら世界にいいことがあってよかった、と思った。

 

ビビーッ、ガッ。ビビーッ、ガッ。

図書館によくある蔵書検索の端末から問い合わせ票の感熱紙を何枚か出す。いい音だ。

紙たちの一端がつかず離れず七夕飾りのように連なった様子がおもしろく、そのままひらひらと持ち歩く。栞のない本では、この紙を代わりに挟んで読むのが粋だと思っている。気づかれず次の貸し出しにまわったとき、前の人はこのころこんな本を検索していたのだな、という新たな輪が生まれる気がするから。

今自分に読むことを課している図書が何点かあるのだが、余計なものも足して5冊の本を持ち帰った。

 

帰りに服の査定をもらう。

売りに出した服には元値数万はしたはずのなかなか綺麗なジャケットも含まれていたのだが、査定額は800円だった。こうしたときの罪悪感ややるせなさは、さすがに何度も繰り返し慣れてきた。とかく私の購買に落ち度があったのだ。誰かこれを着こなせる人に安く渡るならそれも本望。次に活かそう。

 

帰宅後、まだ夕飯というには早すぎるへんな時間にお腹が空いて、しかも昨日の作り置きだったはずの料理たちはあらかた食べきってしまったので、いそいそと部屋を探る。冷蔵庫や戸棚をバタンバタンと開けたり、閉じたり。

食欲に突き動かされる、それでいて関心の希薄な愚かさ。

こういう時、私の部屋は素晴らしい豊かな場所だと自負しているが、何か食べられるものはないかと後ろ手を突っ込む汚物の山が目に浮かぶ。それは鍵っ子がひとり渡された金で出前を取るような、人生をひた走る若者がおざなりにいくつかのカップラーメンを啜るような、食事に対するあっけらかんとした滑稽さだ。

 

▼久しぶりに部屋の隅に本が積み重なる一角ができている。図書館に足繁く通っていた頃は必ず文庫の山があった。少しだけ変わったのはアートやインテリアの洋書なども躊躇わず手に入れるようになったこと。ただアビゲイルアハーンのドイツ語版書は勢いで買ったらこれだっただけで全く読めなくて困っている。

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