生ハムと暮らしている

すぐ忘れるので文字にしよう

思い出す度誇らしい

10/28

また今日が始まった。

ひとつ本を読み終えて、今日からまた別の本を読む。

今私の脳みそは一部本にゆだねられている状態だ、もしそこに私が個人的に打撃を受ける余韻が存在した場合、生活はもろに影響を受けるだろう、それがない場合には、ただ余暇の時間を他人のストーリーの追体験に消費する、本とはそういうものだ。

 

図書館で借りてきたのがやたらと字の大きなヤングアダルト向け文庫本だったので、かわいらしい表紙を隠すため久しぶりにブックカバーを出した。休日に部屋を整理していたときに引っ張り出してきたが、我が家には3つの文庫用ブックカバーがある。

ひとつは高校生になって必要に迫られて買った(おそらく電車通学の概念が生まれ、人の目に触れる状態でよく本を読むようになったから)、地元のLoftの限りある選択肢からピックアップされた何でもない布製のカバー。最も長く頻繁に使った持ち物で、生成り色のコットン製なのでよく触る位置は黄ばみ、何度も洗って芯も柔らかくなってしまっている。明らかに汚い。

ふたつは倉敷意匠計画室の柔らかな幾何学模様の紙製ブックカバー。社会人2年目のころ、すごいフットワークの軽さでいきなり広島までモーニング娘。の公演に赴いた際、岡山に立ち寄り購入した。もっともデザインが気に入っている。むしろこれを買うまでずっと間に合わせで使い続けてきたことが不思議だが、完全にただの紙なのでサイズの異なる本に掛ける度折り目が白く残り、紙の割に酷使されているなという感が否めない。

みっつは楽天市場で購入したアンティークの本棚のようなプリントがされたタイベックス製のブックカバー。デザインもほどほどで、紙よりは使い勝手がよいという理由で採用された。サイズも比較的自由が利き、汚れが目立たず軽いのがいい。

 

誰の興味もなさそうなことを長々と書き綴ったが、こういう持ち物に関するストーリーを私はやたらと覚えているし(誰しもそういうものだろうか?)、それを思い出す度誇らしいので、どこかに発信したいものなのだ。

 

▼これとこれとこれ

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