生ハムと暮らしている

すぐ忘れるので文字にしよう

眠りという行為の看板

11/27

すごくいいことがあったので聞いてください。

私ね、今日、今日のことをずっと木曜日だと勘違いしてたんですよ。

そしたらびっくり、今日は金曜日じゃないですか!

こんなに素晴らしいことがあるんだなと思いましたね。

 

この勘違い、毎週やっていきたい。まあ真実に気づく直前までは「平日ってこんなに長かったかなあ」という憂鬱に苛まれるのだけれど。

はたと金曜日の認知を得て始まった平日の最終日の喜びは、眠る前の布団の中で過ごす時間に似ていた。

子どものころ(学生の間ずっとだった気もする)、その時間がとても好きだった。眠りという行為の看板を立てることで、何にも邪魔されることなく、入眠までのあいだ自分の思考だけの時間が用意されるのがたまらなくうれしかった。

今はそんなこといつでもできるけど、生活が家族と共にあったころ、私にとっての金曜日は眠る前だった。共通点といえば、あとは終わるだけだという消化の楽しみか、でも睡眠はそれ自体が休日のような存在ではないが…。


金曜日という福音の輝きを少しでも磨くため、今週も近所のアイス屋に寄る。今日はチョコミントとピスタチオにした。猛烈に寒いけど、アイスは正義だ。

 

家に帰ると、案外お腹が空いていない。(アイスは飲み物なのでおかしいな。)

ここで自分でも自分に驚いたが、じゃあ走りに行くか、と自然に思った。思ってしまったものは何ら拒否する理由もないので、素直に着替えて家を出る。

人通りの少ない道を選んで、家から2~3km地点にある歩道橋を目指したのだが、誤ってもうひとつ遠い歩道橋の場所に出てしまった。意識高いな、と思いながらも少しペースは落ち、淡々と家まで戻る。

信号機以外の意図的な休憩をなしに往復することができた。これは成長だ。

非力な一生のなかで、少しずつ達成を重ねている。小さな自己実現が大事。


その後もこれといった楽しみが思いつかず、作り溜めたお味噌汁を飲んだりして、ゆっくりと寝た。少しだけ、子どもの頃の眠りの時間を思い出そうとしたけれど、今の私には難しいようだった。

 

▼ アイス屋の特定をやんわりと避けたらクソデカの拡大写真になってしまった 

f:id:kaaamadax:20201130135403j:image