世界中から無くなればいいのに
12/24
なんだか朝からじんわりとおなかの調子が悪い。
昨日の激辛か。まあそうだろうな。
いつもよりトイレと仲良しの時間が長く、会社のトイレでふと散漫な意識でいると、ウォシュレットの記述が目に入る。
私は普段ウォシュレットをまったく使わず文明のすばらしさを享受しきれていないウォシュ弱(ウォシュレット弱者、情弱みたいなこと)なのであまり知識がないのだが、「おしり」「やわらか」「ビデ」という3つのボタンが均等に配置されていた。
おしりとビデはわかるけど、やわらかってなんだ?
想像するにやわらかくおしりを洗ってくれる機能と考えられるが、それって強弱で調整するんじゃだめなのか?おしりとビデっていう2大洗いたい巨頭と等しく並べるものなのか。
クリスマスイブにどうでもいいことを考えてしまった。
とはいえ特に今日を目掛けてやることもなく、静かに帰宅する。
年末にかけてものすごくタスクが少ないわけでも多いわけでもなく、フラットに仕事を終え、一応どこかに寄ったりすることはできるくらいの時間。
ウォシュレットを眺めたりしながらのトイレタイムでInstagramを見ていたとき、今日の限定で美味しそうなジェラートのフレーバーがあったのを思い出す。
行きますか。めちゃくちゃ寒いけど。
この寒いなか歩いて閑静な土地のジェラート屋に赴き、時折ケーキの持ち帰りをする人々を横目に(実は私も予約してるけどね、引き渡しは26日にしていたのだ)、ひとりコートを着込んだまま黙々と限定のジェラートを食べた。
傍から見ればいわゆる寂しいクリスマスなのかもしれない。と、いうことに少し時間が経ってから気づく。
こういう「いわゆる」なんて概念は世界中から無くなればいいのにね。
ひとりは必ずしも寂しいことじゃないし、アイスは夏だけのものじゃないし、クリスマスは家族や恋人のためだけのものじゃない。
▼うますぎてクリスマスありがとう