かけた時間が愛なのか
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年が明けた。
同居人と、「あけましておめでとう」というようなことを言ったかもしれない。言っていないかもしれない。
両親から呼び出しがかかっていた。
身辺の親族はみな都内に住んでいるため、実父母宅より祖父母宅のほうが私の部屋から近い。が、この時期年寄りの家に寄ってたかって集まるものでもないだろうということで、今年の集まりは中止となった。
で、せめて家族だけでもということで呼ばれたわけだが、まあ私にとっては不要不急極まりないのである。世の不要不急に乗じてふんわりと回避できないかと尽力したが、むしろそんなに回避したいのかという圧に負けすごすごと2時間ほど電車に揺られ帰った。
長く海外生活をしていた父親が諸事情により日本に帰国し、両親2人はそれなりに仲良くやっているようだった。
父親とは時々話す言葉の端から推察するにおそらく生粋は似通ったものなのだと考えられるが、いかんせん過ごした時間が短くて、生まれてこのかた「近くにいるおじさん」なのだった。薄い記憶を辿れば家族旅行や夫婦喧嘩をしていた過去なども呼び起こされるが、いまだ2人の関係性を、というかこの家族と呼ばれる3名の人間の集まりの意義をよく理解していない。もしも私が何らかの窮地に立たされた時、無条件に何らか守ってくれるだろうと予測はしている。頭ではわかっていても、私はそれを理解も信頼も期待もしていない。なぜなんだろうな。永遠の謎だ。
母のつくった悪くないお節をいただき、駅伝をぼんやり眺め、途中母が外出したことで長い無言の間にぽつりぽつりと仕事の話や新しいiPhoneの話をし、夜も同じお節で夕食をとり、私が持ってきた茶菓子をデザートにして、ほどほどの時間に帰宅した。
そういえば実家で夕食を食べる前に同意を確認されたので、念のため同居人に「夕食の準備をしているか」と尋ねた。もししていれば帰ろうと。
朝家を出るときに、「早く帰りたいな」と伝え、「夜までに帰れるといいね」と返事があったので、もしかして2人分の夕食を用意するつもりがあったのではないかと期待した。
返事はNOだった。
家族からの期待に応えたくない私が、都合よく同居人に期待して手応えを得られなかった瞬間だった。
この時間に私は何を期待されていただろう。元気な顔……とかそういうやつなのか。
私はこの時間に何も期待していない。親不孝はしたくないけれど、それは私が人を幸せにしようなんてこれっぽっちも考えて生きていないために、元からゼロベースの自らの価値をマイナスにする恐れ多さからだ。やりたくないけれどやらなくてはいけないこと。
元日から抑揚も希望もない生活。
自分の人生っぽいな。
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