生ハムと暮らしている

すぐ忘れるので文字にしよう

物体の安っぽい重厚感

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スーパーで安いゼリーを買おうとしたけど、どうでもいい甘いものを食べるのやめるって言ったじゃん!と売り場に戻すという夢を見た。

夢続きだ。

この日記は数週間サボったのちに書き起こしているものだが、このメモの一言で夢のシーンを鮮明に思い出した。デパ地下や大きな商業施設が併設されたタイプの、大きなフロアのある部分だけがスーパーマーケットになっているような店。入るとすぐ島状のフルーツ売り場に出迎えられ、そのフロントに子供向けのような綺麗な色のついたオレンジやピーチの3つ入りパックのゼリーが売られていたのだった。

少し進むとパパイヤ等の流通が少ないフルーツや、輸入菓子などが陳列されていて、夢の中の私がその売り場でも足を止めた記憶が蘇る。

何ら脳に棘を埋めるようなパーツのない夢に関する記憶であっても、こんな簡単な尻尾からここまで引き出されるものなのか。記録の強靭さを思い知る。

 

(ちなみに夢の私は洋梨も買おうとしていた。あんなにたくさん食べたと言うのに)

 

仕事から帰るとアーティストの作品集が届いていた。なんのアートと言われると説明が難しいけれど……古いおもちゃ、プラスチックの部品、それに既存の家具などを組み合わせて脈絡のない立体物を作るアーティスト。

もとより知ってはいたが、その本の謎の分厚さに笑う。綴じられた冊子の表紙と裏表紙部分に、本体と同じくらいの厚みのボール紙が貼られていて、本来必要なはずの3倍ほどの厚みがある本なのだ。

この本自体、2/3が「無意味」に当たるのが面白い。私はこの脈絡の無さと、その手間によって出来上がっている物体の安っぽい重厚感、それを気に入っているので満足だ。

同居人に見せると、おしゃれな香水瓶を買ったらパッケージでも満足度が上がるみたいなこと?と言われたが、それは違う。

大好きなアイドルが香水をプロデュースして、応援グッズの気持ちで買ったらその匂いも大好きで満足、みたいな感じ。ちょっと自分でもはっきりとわからない。

 

夕食、トマトとおでんと納豆で満腹になり、あれれ、と思うも満腹を携えてみかんも食べてしまう。どう考えても余分な摂取だ。

とは言え記録してみると1日に1000kcalくらいしか食べてはいないが、カロリーに限らず今の私はきっとこの程度の摂取で生きていける身体のはずで、だからこそこうして満腹だけどと思いながら何かを食べてしまっている現在の体型は、ちょうどよくないものなんだろう。

考えすぎると本当に、バターサンドを恐れ続ける道の先に摂食障害らしきゴールが見えてきそうなのでこの辺りでやめておこう。それがいい。

 

その後、友人に電話をかけ他愛ない話をした。

会話の中で持ち物について、というトピックがあり、私が平均より多くの洋服またアパレルアイテムを所有している確認を取るため、アウターを何着持っているかと聞かれた。

少し考えてから、アウターってどこまで?と返したところで、これはもう平均越え確実との反応。春秋ならアウターだけど冬はさらにコートを着る、それがどちらに含まれるかは大事な定義だ。

最終的には「これ以上うえに着ることはない」を基準とし、10着と回答した。友人によると、大体平均的な所有数の倍くらいなのではないかと推定された。

もうすっかり意味などないが、もし手持ちの洋服をすべてハンガーにかけていったら何メートルくらいのハンガーラックが必要なんだろうか、とか言い始めて、特に結論も教訓もあったものではないが、和やかに夜は更けた。

私の洋服は本気出したら25mプールを埋められるかもしれない。

 

▼おでんと納豆とトマト(部屋とYシャツと私、みたいな感じで)

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