生ハムと暮らしている

すぐ忘れるので文字にしよう

すべての平日のわだかまり

10/22

昨日、一瞬の逡巡ののちシャワーで済ませたが、入るまではあんなに面倒だ面倒だシャワーで済ませてしまえと思っていたのに実際浴びたらなぜ湯を張らなかったのかと自分を責めた。

今日は必ず湯に浸かるぞ。強い決意。

 

今週、紅茶を買い足しに輸入食品店に行ったら、韓国の袋めんの多様なのが1袋ずつ小分けで売っていたのでたくさん手に入れた。

噂のチャパグリってやつをやりたい。牛肉なんてないから、豚バラでいいか。

出来上がったものは思った以上に茶色く、とてもジャンクな色合い、そこまで辛くはなさそうなのに、口に入れると案外ピリリと辛い。元気な焼うどん、土曜日半ドンの昼食といった感じ。そして油がすごい。今週の油すごい。

2種類の袋めんを合わせて調理するレシピなので自動的に2人前できあがり、同居人に食わせる。(事前に同意は得た)

 

再びの味と油に腹より口が満たされ、しばらく休憩。

ソファでうとうとしたあと、湯沸かし器をぽちり。

 

湯船でも存分に本が読める、いい時代だ。

さっきまでKindle端末で読んでいた本をびしょ濡れのiPhoneで開けば同じページを開いてくれる。

iPhoneの画面は細かな水滴が光の三原色を抱えて拡大したブラウン管テレビのようにチラチラと騒がしい。

 

風呂を出たらほどほどの時間で、昨日の日記の続きを書いてみるも、思考がまとまらない。本に答えは書いていない。

なんとなく惰性でポリアモリーの記事などを読んでみるが、ただちょっとした他人の思考のTipsが増えただけ。

 

もう眠いから寝ちゃおう。

と、思いながらもなんだかんだ明日の弁当の準備をしてしまう。朝の自分が信用ならない。今週は鶏むね肉が買えなくて、タンパク質が足りない気がするので、明日の弁当箱の隙間になにか野菜以外のものを詰めなければ。

とりあえず卵があるのでゆでる。

基本に忠実に。湯が沸いてから6分。よく冷やしておく。

 

洗い物も明日でいいか…と思いながら、やはり洗う。同居人は私つくった飯を食べ、皿を洗わずに寝た。

むむう。

 

明日は金曜日だ。

金曜日にすべての平日のわだかまりが洗浄されるはずだ。その気持ちだけで本日を終える。

 

▼チャパグリの写真にしようかと思ったけど、秋の夜の柿のほうがぜったいにいい。寒空に輝く金星みたいだ。

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哲学の赤子

10/21

こんなのんびり日記を書けるのはいつまでだろうか。

夏以降、甘えたワークライフバランスに乗じて、すっかり仕事中の集中力が途切れた瞬間を見計らって日記をしたためることが習慣になってしまった。

今のオフィスは、周りを見ると大変忙しそうである。

ただ、今、今まさに私が仕事として引いている来月のスケジュールは恐ろしいほどの余裕。これ、許されるのか。一応言われた通りには書き出しているけど。

 

帰り道、新宿駅で、急に目に留まった。大きめのリュックを背負った男性が手に持っている、掌ほどの小さな紙袋。

瞬間、これは小さくない意味のあるプレゼントだと感じた。シンプルな色柄だが厚みのある質感で、シールの封がしてある。今日も誰かの記念日なのだ。爽やかな気づき。

 

人間としての仕事に戻ろう。

昨日の自己愛についての思考の続きを。

こういう答えのないことを延々考えるのは人生をかけて幾度となくやってきて、哲学者ってまじで中二病かよと思うんだけど、自分も間違いなくそうだから怖いので哲学書は読まない。

物心ついてからの継続で、さすがに自分の中での答えが出ていることがほとんどになってきた。まあ思いつくことしか考えられないのが人間なので、当然といえば当然で、この世界で私は哲学の赤子だ。中二から若返ったな。

 

すべての感情に関心(愛)はあって、そこに第三者との関係性があるかないかで性質が変わる、と仮定する。

三者の登場によって生まれる独占/陶酔などの感情、それが自身に最も強く向いているのがナルシシズムであり、また、具体的な言葉に置き換えたとして、たとえば対象に嫌われたくない/他者より自分を見てほしい/対象が他者より優れていると信じたい等の欲求は、すべて自分発着なのでめちゃくちゃ簡単に満たすことができる。すげえセルフサービス。満たされるかどうか考える時点で非常に混乱し、循環参照みたいだな…と思った。Excelの。

つまり、仮に愛のうち性愛としての同性愛を一切持たない人間がいたとして、自分という対象に関心が高くかつ第三者を意識した独占/陶酔が強い状態は、共依存性をもつ友愛みたいなことではないだろうか。

自分は自分に強い関心と精神的交流があり、嫌われたくなくて、独占したくて、その素晴らしさを信じたい。考えれば考えるほど、程度をわきまえたナルシシズムって猛烈に健全な精神状態ではという気がしてくるな。程度の問題か、結局。

 

つまりにつまり、ナルシシズムと自己愛は別のものだ。まったくもって。

自己愛だって結局は、自己陶酔の側面も自己肯定の側面もある。愛は菩薩。無数の顔。私が苦しめられている自己愛については、またこの秋の夜長に考えることにしよう。

 

▼ミルクティーを入れすぎた

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自己愛だろうか、それとも

10/20

眠気。

意識の中で、早く走ることだけを目的にキメラ的に品種改良されてしまった馬のイメージがふと湧いてでてきた。

頭と棒のような体になった馬。

走るためなら脚を残すべきではと冷静になれば思いつくようなことだが、夢現の中勝手に構築されたものはそれだった。人間が考える葦であるように、馬を頭に大事なものを抱えた神や宿主かなにかだと思ったのだろうか?

 

家に帰ったら、玄米がなかった。

米がないという消極的理由で酒を飲む。

それにしても先日買った焼酎は美味しい。炭酸割がぐいぐい進み、肴はお手製のぬか漬けと少々のメンマ、キムチ、長らく冷凍庫を占拠しているから揚げ2つ、あと納豆も卓に出していたが食べきれず。南無。(納豆はもう一度蓋を閉めて冷蔵庫にしまった)

 

日中、図らずふと話題に挙げたナルシシズムについての思考が後々発酵して膨らみ、色んな手が止まった。人への連絡も、この日記も、本を読み進めるのも。

ナルキッソスが自身に抱いた心情は、有り体に言えば「顔が好み」から入り、もっと見ていたい、触れたい、というもので、それは明らかに性愛またはかなり恋愛に近い何かだと思うけれど、ナルシシズム(あるいはナルシシスト)という概念が呼び起こされた時点では、ある程性的な要素は任意に昇華されているように思う。

それは自己愛だろうか、それとも?

 

この日記自体、会社で眠気の隙間に書き始めてしまったので、資料作成の手が止まっている。続きは翌日の日記にて。

 

▼この日の写真が皆無、けどせっかくなのでいつかの水面の写真でも

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風呂釜のよろこびに溢れ

10/19

先週食べ損ねた弁当箱から、いけそうなものは残してそのまま保管し今日持ってきたが、なんだかちょっとだけ、ちょっとだけ危ない味がする。

漬物っぽい味と言われればそれで済まされる程度ではある。済まそう。

 

それよりも、先週からランチに誘ってくれる同僚の二人の空気感が不思議である。私が来る前からこうだったのだろうか?

非常に親し気に会話をするわけでなし、しかし時間を合わせて昼食をとっているようである。

もし私に気を遣ってくれているのであれば、もうよいと伝えたい。本を読んで過ごしたいので。

 

家に帰り、腹は減っていたがなんともお肉を食べたい気持ちだったので、冷凍していた豚バラ塊をゆっくり溶かして一口大に切り、照り焼きブロックに。途中つまみ食いしたらあまりの油分と味に圧倒され、あわてて大根をおおきめのいちょう切りにして残りのタレに絡めて添えた。

うまい。油すごいけどうまい。

 

男子高校生みたいな食事だなと思いながらみっちり満ち足りて、寝っ転がって本を読む。布団にくるまっていたがもっとも~っと温もりを欲して、久しぶりに湯を張って風呂に入ることにした。

湯沸かしが頑張っている間に明日の弁当の準備を済ます。

あた、あた、あたたま、る~~!

 

今日は特別早く帰ったわけでもないにすごい充実感。

おととしは今の家に越してきて風呂釜のよろこびに溢れ小まめに湯舟に浸かっていたが、去年はすっかりいつもの自分に戻っていた。もっとも~っと温まっていこう。

 

▼油と味のブロック

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静かな河に投げられた小石

10/18

今週は、週末の曇天を見越して金曜日の朝に洗濯をしておいたので猶予のある休日だ。

昨日は活動的に過ごすつもりはなかったのに勢いよく朝から出かけたりしたこともあり、何らか午前中にしようかなと思ったところで部屋を整理した。そろそろ、いくらかの衣服を処分なりリサイクルなりに出さないといけない。

そして昨晩読み終えた本が耳触りはよいが肚に響くもののないものだったので、乾いた気持ちを抱えて次の選定をした。

 

17時からは随分前から約束していた友人との食事。

都外に祖父母を含む家族と同居する彼女が、なかなか世を鑑みて外に出にくいとのことなので、こちらから出向く。地元の何もない町で予約のできる個室の居酒屋を探すのに随分手間取った。

 

このところ生活について改める意思が続いているのもあり、先日ふと話題に挙がった友人たちとの同居について提起した。

私としてはもっとも譲れないであろう家賃とか立地の話をしたかったのだが、どんどん飛躍してシャンプーやクレンジングが倍々に増えること、Amazon primeの共用の可否、おもしろい地下室のある激安物件など。

来年の春ごろには本気で考えてくれとこちらから懇願する形となった。静かな河に投げられた小石が波紋を呼ぶ。

 

気に入っているがなかなか買えないのでカートンで手に入れたという韓国の洒落た煙草を余っているからと分けてくれ(代金は払った)ありがたく頂いて帰る。

個室でもやはり喫煙は許されないらしく、ぴかぴかのパッケージの3つの煙草は、まるでつまらない名刺のように、会が終わるまで机の隅にその意味を持たないまま居座った。

店の外には申し訳程度にブリキのバケツが水を張って置かれている。

人と吸う煙草は違う味がする。

 

▼人のいない広い宴会場は座布団が斜めに伏せられて柔らかな合掌造りのようだった

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宇宙の上で食事をすること

10/17

起きたら雨が降っていて、暗い部屋ではエイリアンズが流れて、私は酒が残っていた。

 

夜に慣れた目でトイレに向かう。

ぎゃ、眩しい。

トイレ側はこの現象の解決について真摯に向き合ってほしい。

 

朝。

器のギャラリーからDMを受け取った時点では今回パスかな、と思っていた展示がInstagramで見たらとてもいい作品で目に留まる。

やだ…器買いすぎ問題に全く歯止めが利かない…。

 

なんやかんや言いながら、ちゃんとお洒落をして、家を出て、ギャラリーの始まる少し前には店に到着した。張り切っとるやないかい。

夏前に早まって購入してしまっていた、Burberryのタグのついた(偽物かもしれない、しかしそれでも構わない)丁寧な柄合わせに惚れ惚れするジャガード生地のジャケットをやっと着ることができたので気分がよい。

3人目の来客でギャラリーに入店したが、1時間ほどたっぷり悩んで、残り3人目くらいまで居残ったうえで4枚(4枚!)の器を手に店を後にした。

 

DMの写真はおろか、Instagramの数枚の店内写真でも気づけなかった、美しいオーバル皿はいくつもの色が重なってまるで宇宙のような色合いだ。

美しい器を選ぶことで、私たちは宇宙の上で食事をすることができる。

文化の特権である。

 

文化の素晴らしさを語った後で恐縮だが、その足でミスタードーナツに向かい、限定の中華パイを買って帰る。中華の惣菜をパイで包むなんて、猿でもわかる美味しい食べ物に決まってる。

お昼も過ぎていたので家に着き早速温めて皿に広げた。(その皿は格好よいけれどメラミンの皿、買ったばかりの皿を油たっぷりに使うと染みがすごいので)

油に油を重ねる罪深い行為に慄く。

味の濃さが祭り状態だ。今後は気を付けよう。何に対してかわからないけど…過剰な油に、かな。

 

夜、今冬初鍋。

白菜が安くなったのに舞い上がって食べすぎているので、葉物には主にキャベツを選択し、ごま坦々鍋とさせて頂く。

ヘルシー、おいしー、最高。

ありがとう鍋。

 

我が家では食事としての鍋を行使するチャンスを「鍋チャン(ワンチャンみたいなノリで)」と呼んでいるのだけど、つくづく「鍋やろう」っていう呼びかけウケるなと思う。

日本語圏以外の(もしかしたら中国ではそんなに違和感がないかもしれない)人から聞いたとき、どんな感想を抱くのだろうな。

Let's pan!

 

 ▼宇宙

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伏線回収の感覚

10/16

初めて顔を合わせるメンバーとの仕事が始まる。

ビルにも居室にも入る権限がなく、待ち合わせて通してもらう。案内された席の周りは知らない人、人。あっちの席は空席らしい。どこにトイレがあるかわからず一瞬迷い、手持ちのWi-Fiが通じなかったので共用のパスワードを聞く。

ただの慣れだとは思うけど、こういうことに緊張しなくなったな。所作のひとつひとつはできるもできないもないようなことだが、反射神経的身のこなしが人間関係を左右したりするから侮れない。就職活動のときからそれに気付いてる優秀な人材はいろんな人と面接の練習をするんだな。頭が上がらない。(一人でぶつぶつやってた人間)

 

資料を作っていてわりと用意周到なつもりで準備したことがほぼすべて見られて、伏線回収の感覚が気持ちよい。

興味が薄れているとはいえ、やはり仕事をちゃんと見てくれる上司のもとで働くほうが楽しい。

 

昨日の日記を書いていて、「無味乾燥」という言葉が気になった。

ほぼ同じ意味に「無味無臭」があるが、私は「無味無臭」のほうが好きで何に対してもよく使う。

世間では「無臭」のほうは直接口にするものを表現するときに使うことが多いと思うのだが、辞書には転じて〜の意味も記載されているので、間違った使い方ではないと思う。

なんだか物体や出来事に対して「乾燥」という状態表現を使うと、それだけで特別な(この場合は貶めるような)意図を感じてしまうというか、「無臭」のほうが当たり前だからこそ本当に可も不可もない没個性な感想を抱く。気がするのだ。

 

夜から会社のオンライン飲み。

帰って着替えたりなどしたらもう開始まで30分ほどだったので、既に腹は減っていたが粛々と準備をする。

誰も見ていやしないだろうが、なんとなくそれっぽく盛り付け、追加したくなるかもしれない肴なども事前に盛って冷蔵庫に構えておく。

なんだかんだ楽しみにしている。同僚と行くランチなどは結果的に煩わしさを覚えることが多いけれど、単純に酒の席というだけでちょっとだけ気分が上がるもの。人と飲む酒はいい。

 

会は、そこまで多くの人は集まらず、運良く家庭菜園の話などで盛り上がったうえ企画者があまり落ち着けない場所から参加していたことで短めのお開きとなった。

時間もちょうど良い。いい会だった。

 

備忘:だいやめ、という焼酎が美味しい。本当にライチのような華やかな香り。

 

▼連日飯の写真でおもしろくないが、漬物を乗せた小さな雲の器が新入りでうきうきしたので。

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