息苦しくはないけれど生温い
8/9
昨日は腹痛があり家で過ごしたが、今日はどこかへ出かけたい。
7月から8月にかけての限定的な期間で新宿御苑が19時まで開園しているらしい。夜の御苑を目標に1日の計画を立てよう。
美術館に行くことにした。
時間指定のチケットを事前に購入し、日本橋へ向かう。
展示は思った以上にボリュームがあり、非常に有意義だった。
考えていたより少し疲れてしまい、新宿から御苑まで歩きたくなかったので、銀座から丸ノ内線に乗ることにした。
また銀座の地下でパンを買いに。
いつも夜に訪れるので日持ちのする乾いた品しか買えないが、休日の昼間なのでよりどりみどりの美味しそうなパンや焼き菓子が。そそられるメニューばかりで、紙袋いっぱいに買い込んでしまった。
気づけばもう17時をまわっており、丸ノ内線にぐるりと揺られて新宿御苑前へ。
冷たいコーヒーなどを買い足して、園に入った。
普段ならば閉園の時間なのもあり、多くの来園者は帰るところだった。
曇り始めた天気の中、人の少ない空間で、自由にレジャーシートを広げる。
朝から何も食べていなかったので、冷たい炭酸飲料をごくり、ガーリックトースト、コーヒー、カヌレ、コンベルサシオン、コーヒー、たくさん食べた。
(コンベルサシオンという焼き菓子、好きだけど名前が覚えられなかったのだが、パン屋に「楽しくおしゃべりしましょう」とポップがあり、なるほどconversationか、と一発で覚えた)
次第に、夕方から夜が始まった。
もう藍色のはずの空が、森が暗いせいで水色に見えて、例えそこに虎が潜んでいても気付かないような、ぼんやりとした闇だ。広い夏の夜に明かりもなく、息苦しくはないけれど生温い。辺りに目立つ音もない。
いつかこんな風に過ごした最後の時間は、どれだろう?
ふと思い出したのは、恋人ではない何者かと蛍を見に行った記憶だった。数えると、4年前のことだった。
誰かと過ごすことが必要なことだとは思わないけれど、それでも今日の夏の夜を、私は来年思い出さないだろう。
感受性によるものか、状況の必然性か、あの頃という幻想に栞を挟んでボロボロになるまでめくり返しながら生きているみたいだ。そして、自らコントロールできる生活の中で、もう誤って自分のページを折ることもない。切ない?それも感情のアーカイブを再生しただけで、ただの空虚なのかもしれない。
このあと私は、手の甲の産毛さえ見ずとも見えるような明るみの下に出る。
その頃には空は黒にしか見えなくなっていて、辺りの何もかもが光り、音を発し、白鳥座がかろうじて届くような味気ない夜だ。
▼あの明るみ