心は凪のままである
8/10
友人と車で出かける予定を立てていたが、直前まで決まらなすぎて配車できず無念。
レンタルスペース借りて夏休みをしようという話になるが、これも6時間後からしか取れず、無念。
結局私の自宅に集まることになるが、一人はステイホームすると言い出した。平常運転である。
なにをするとかしないとか気持ちがころころ転がされ、釈然としない。
この友人らはこれまで付き合ってきた間ずっとこんな様子で、それをいいとか悪いとか判断することなく関係性を構築してしまった。
この後ぼんやりとした集合で一人と落ち合うが、心は凪のままである。それでも互いに意に介さないのが長い友人の所以と大きな許しだ。
私の自宅にほど近いので、昼食の候補を色々送っておいたのだが、全く参考にされず目に入ったインドカレー屋に入った。
彼女は学生のころとにかく金がなく、しかしよく食べる人で、おかわり無料の飲食店に連れ立っては3杯も4杯も白米を食べていた。が、今は食が細くなり普通の量が精一杯だという。
私ももれなく年齢と共に胃のキャパシティは縮んでいるため、サイドメニューが気になるが食べ切れないのではと危惧し相談したが、一人ひとつ頼もうとのこと。矛盾、してない?
結局彼女の頼んだナンを少し私が手伝う形でようやく食べ切った。私がよく通うジェラート屋に行きたいとも言っていたのだが、この時点でとんでもなく満腹。だから言ったのに…。
目的は「夏休みをする」だったので、最終的に私の家に招き、なんでもない時間を過ごした。
ステイホームの友人とも通話を繋ぐ。絶妙に回線が悪い中、途切れ途切れに社会という言葉の定義について議論を交わす。大体いつもこんな会話ばかりだ。過去には世の中と個人の関係性を側溝やスカンジナビア半島に例えて話したりしたこともあった。意図は全く覚えていない。
次第に夜になり、私も自宅なので心が抑揚なくぬるりと1日のクロージングにかかってきた。唐突に会はお開きになった。
彼女が飲みたいというから途中で寄ったスーパーで1リットルの豆乳のパックを買ったのだが、全く手をつけず帰ってしまった。
持って帰らないかと聞けばよかった、と思うが私が払っているからまあいいか。
▼インドカレーは美味しかったけど今日という1日に意味をもたらすようなものではなかったのでもう縦の写真のままでいいや