生ハムと暮らしている

すぐ忘れるので文字にしよう

どこであれそこは

10/4

朝、なんだか甘いものが食べたくて、最後のスコーンを解凍した。

今日も今日とてまるでケーキ。変わらずおいしい。

 

取り急ぎ、昨日さぼっていた洗濯ものをぶち込み、ゴウゴウと回っている間に荒れた部屋を少しずつ元に戻す。

日記を書き始めてから、荒れた部屋をもとに戻す作業は3回目くらいだろうか?

月に1度くらい部屋を荒らしてしまう習性があるようだ。

 

掃除機までかけて、大好きな部屋が再現されて満足した。心地よい。やっぱり部屋が好きだな。

 

引っ越す前の、青いものばかりに囲まれた部屋も大好きだった。

あの頃に戻りたいということではなく、これまでもこれからも、私は自分の部屋が好きなんだろうなと思う。

 

私にとって、実家は生きづらい場所だった。

家族とは特段の不和があったわけではなく、シンプルに衣食住の趣味が合わなかった。

だから転勤族だった私が中学生になって初めて自分の部屋ができて、それは空調もなく北向きの曇りガラスがはまった薄暗い4畳半だったけれど、まごうことなき城だった。

ときに籠城し、ときに崩落しながらも、自分の持ち物で空間を定義できる素晴らしい経験が始まった。

 

当初、私の部屋は物が多かった。

これまで個人に由来した場所に特定されずバラバラの天袋にしまわれていたようなものものは、4畳半に雪崩込み、溢れ返っていた。それでも私はその床の見えない部屋でも自分の必要なものがどこにあるかを知っていた。

突如、私の部屋は綺麗になった。

「こんまり」さんの本がきっかけだったが、決して従順な読者ではなく、はじめの1/4程度を読んだだけでコロッと気持ちが入って、急にものを大量に捨てた。それでも私は持ちたいものを持っていたし、変わらずその部屋にいた。

それから私は、がらんどうになった部屋を飾るようになった。

100円で買った額にパソコンでOA用紙にプリントした写真を入れて壁に掛けた。

コンビニ振り込みでネットショッピングをして、気に入った柄のファブリックをぴったりと椅子に掛けた。

幼稚園の頃から使っていた冴えない洋服ダンスは、脚を取り付けて緑色に塗った。

 

買えるものにも置けるものにも限りがあったけれど、寒くて暗いその空間で、私は長い時間を過ごした。

 

今の私には、あのころから思えば夢のようなアート、器、ファブリックと、選りすぐった照明がある。偶然かもしれないが、大型の家具にはあまりこだわりはないので、それらだけ持ち運べばどこであれそこは私の大好きな部屋になる。

 

次の部屋は和室もいいなと思っている。

どこであれそこが大好きな部屋になる証明として。

 

▼青かった頃

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