生ハムと暮らしている

すぐ忘れるので文字にしよう

私にも残されているだろうか

10/10

味噌汁を1週間かけて飲み続けている。

朝、まだご飯を食べるつもりではないけれど傷むといやだなと思い鍋を火にかけた。

いい匂いがしてくる。

 

やはり食べることにした。

味噌汁はいい。

毎日飲んでも飽きない。夜、家に帰って味噌汁があると、安心する。

そしてこの味噌汁は週の半ばで安売りされていた銀だらのあらを足したのでとてもうまい。

 

ふと、友人との暮らしを思い浮かべた。

遊牧民の夢潰えた友人が、直近共に暮らすことは現実的に可能か?と提案してきたのだ。

 

彼女はこまめに自炊するタイプだが、自分の飯は美味しいと思わないと言う。 

私がこの味噌汁を出したら何というだろう。

美味しいと言って飲んでくれるかもしれない。でも私が料理担当になったら嫌だな。料理は好きだが料理ばかりしたいわけじゃない。それに比較的上達したのも長く続けてきたからだ。なんとなくそれを搾取されたくない気持ちもある。

 

練習は投資だ。初期投資。

弁当を買ってきたほうが短期的には安上がりだし、初めのうちなんかは時間がかかるうえに大して美味しくない料理を食べなければならないのだ。それに続けていけば、新しいキッチンツールや調味料が欲しくなる。

 

その時間や費用の捻出が出来ないという判断、もしくは出来るけどしない判断があることも理解できる。

なんだかんだ、一人暮らしを開始したときに最低限のキッチンツールを置けたこと、なんとか自炊する体力があったという環境の余裕は恵まれたものだと思い返す。

 

うだうだ言っているが、要するに真面目に考えているのだ。友人との同居を。直近で実現可能かはわからない、難しいかもしれないとも思ってはいるが、そんな未来を想像する。私にも残されているだろうか。誰かと生きていく人生が。

 

▼かぼちゃのマフィンとコーヒー 

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