生ハムと暮らしている

すぐ忘れるので文字にしよう

雑なことで想起される感傷

12/31

念のため大晦日ということで、心の底から「1年の汚れはその年のうちに」とか「煩悩を祓え」とか「一年の計は元旦にあり」とかそういうことを明確な信念や自覚をもって行動で示そうというつもりは全くないながら、いい機会なので掃除はしよう。

思い切って粗大ごみに出した洋服ダンスのあった場所が何もない床を露出しており、まずは日差しを遮っていた窓際のハンガーラックを元タンスの土地に移植した。

伸縮可能で床と天井を突っ張る方式のラックなのだが、よくある突っ張り棒のように細い(伸縮する)側を回転させることで伸びるはず、と一度天井から取り外した後べつの場所に当てがったあとくるくると棒の先を回してみるものの、ただその場で回るだけで静かに焦る。一度外してしまったがゆえ、この2m×2段組のラックにかかっていた洋服がすべて床にぶちまけられた状態で、年を越す…だと…?

まずは商品の説明書のようなものがどこかにないかと、ネットの海に泳ぎだすがメジャーな商品ではないのか全く正規のページが見つからない。Amazonで一番安かった商品を買った自分を恥じ、同じような人間がいなかったかと商品レビューを読み込むがそんな人はいない。嘘…みんな一度も取り外してないの……?

同居人に悪運を嘆き悶々の「もんも」くらいまで来たところで、棒の回転が途中で止まることに気づいた。

これ、違う!!伸ばしたいだけ伸ばしてから固定したいタイミングで回すと止まるタイプのやつだ!!!!!!

一気に心が晴れた。疑ってごめん。ちゃんと次の場所でも自立したラックを見て、たった4000円でこんな働きをしてくれることに合掌した。今後ともなにとぞ。

 

ラックが窓際から壁際に移ると一気に部屋が明るくなり、収納の占有面積は変わらないのだが部屋が一新した気がして昼休憩に入ることにした。

年末っぽいことがしたいと、町のラーメン屋に行こうと提案し家を出る。

 

私の住む町には天下一品があり、20代最後の年末に部屋着で行くラーメン屋にふさわしいのではと感傷が刺激された。

これから指向とライフスタイルが変化するにつれて、天下一品がある街に住む可能性は低くなるだろう。歩いていける距離にラーメン屋があるような場所には住んでおらず車で休日の外食に出かけるかもしれないし、その時にはパートナーがいるかは分からない。家族がいる…可能性もないとは言えない。

狭い部屋で安い家具の模様替えをして、自炊をさぼってこってりラーメンを食べる今の自分が、なんだか愛おしく思えてくる。

とかいって一生変わんなくて年々嫌気が差していったら笑えるな。笑えないんだろうけど。

 

その後も間接照明の位置を変えたり、まとめて隅においていたアートを壁に掛けたり照明の近くに立てかけたり、自室にあった燭台を持て余したりした。

大掃除といって私は整理整頓ばかりしていたけれど、同居人は着々と排水溝の掃除などのいわゆる「掃除」を進めているようだった。

こういうカテゴライズは前時代的だと認識はしつつ、単純に傾向として、「掃除」というと男性は「整理」をしがちで女性は「掃除」をしがち、というのを思い出す。急に友人が家に訪れたりしたとき、もしくは逆の立場のとき、化粧品が散らばっていることを汚いと思うか、シンクが水垢だらけなのを汚いと思うか、というような話。

まあ私は単に行動のコストに対して達成感のパフォーマンスが高いほうを取ったら整理してた、というだけだが。

 

夜は2020年最後の鍋をしようと、スーパーで念のため年始数日間を過ごせるだけの食材も加えて買い出しをして、ささやかに鍋をした。

満腹で年越しそばを食べるスペースを残すことはできず、でもクリスマスに合わせて買っていたおいしいジェラートを食べて0時が近づいた。

去年は一応PCのディスプレイとテレビを兼用していて紅白歌合戦をちらりと見たりもしていたが、今年はそれらも処分してしまっていたので、マスメディアと完全に断絶された年越しであった。0時を過ぎると近くの神社から鐘の音が聴こえて、すっかり眠くなってしまったのでいつも通りに布団に入った。

 

▼安いこと、雑なことで想起される感傷ってなんなんだろうな。幼稚であるとかノスタルジーとかだけじゃないと思う

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