生活の端々にローカルな感傷がある
11/18
15時半に日が差す。
まったくもって日記を長らく放置してしまった。(今日は11/24)
上の一言は当日私が残した短いメモである。
でも私は知っているぞ、職場の私の席に、遠くのビルとブラインドの狭間を縫って一瞬だけ夕日が差す時間帯がある、それのことだ。
辺り一帯が明るくなるのではなく、おそらく西側のビルの背丈と太陽、そしてブラインドの1枚と1枚の間にある縦長の細い隙間がぴったりと重なったときに、数分だけ私の席が輝く。
実際にはPCに光が反射して眩しいし仕事にとっちゃメリットなんてひとつもないのだが、ああ生活をしているんだなと感じる。
実家のマンションが傾斜のある国道沿いで、夜電気を消しても車のヘッドライトの光線が灯台のように右に左に部屋の天井を行き過ぎていたのを思い出す。
そういう生活の端々にローカルな感傷がある。
なるべく傷つけないように、そういった思い出を大事に抱えている。
▼とか言いながらこの日の写真はバブ(サンダルウッドの香り)。夜外に走りに行った帰りに買ってすぐさま風呂入れてはいった